漫画の描き方で4コマのお手本画像を公開!漫画はコンプレックスから

実は私が漫画を書き始めた動機は不純な理由でした。
私は小学生の頃から太っていて、食事制限を受ける程の肥満児だったのです。
なので、成長期を迎える高校2年生まではチビでデブだったのです。

 

そんな私に当然彼女など出来るワケがありません。
なので、せめて漫画でカワイイ女の子に自分が成りきって、
描いて見たかっただけだったのです。

 

つまり、私は、いわゆる「2次元コンプレックス」で
女性を漫画に投写していたのでした。

 

私は本当は漫画家になんてなりたくなかった?

 

そういうわけで私と「漫画改新党(スタジオMKT)」を作った、H君の方は、
中学生の頃から漫画家を目指していましたが私は漫画は単なる趣味にとどめて、
ふつうに大学に行ってふつうに就職をするつもりだったのです。

 

なぜ「おそば事件」を集英社に持ち込み投稿したのか?

 

そんな私にも大学1年の時に彼女が出来て、
4年間付き合って卒業後に結婚までしました。
そして、私は20才になった記念に生まれて始めて、
プロの漫画家の原稿用紙の大きさでトップページにあった「おそば事件」を描いたのです。

 

その理由は、単に自分の漫画の実力が世間では、
どう評価されるのか20才という年齢を節目に試してみたかっただけだったのです。

 

なので、この「おそば事件」を書き上げてすら、
私は自分が本当にプロの漫画家になるなんて思っていませんでした。
しかし、この作品のおかげで私は集英社と「年間契約」を交わしてしまったのです。

「年間契約」とは「毎月3万円のお金を受け取る代わりに、
1年間だけ、他社の漫画雑誌に、私の漫画を投稿しない」という契約でした。

 

たとえ3万円でもお金を稼ぐのですからこの時初めて、
私はプロの漫画家の玉子になったのだと感じたのでした。

 

4コマ漫画の描き方は?

 

以下の画像は私が大学1年の時に描いた作品です。
サッちゃん
↑クリックすると拡大画像になります。

 

「サッちゃん」とは私が高校3年生の時にその笑顔に一目惚れして、
恋に落ちて失恋したカワイイ女の子がモデルでした。
この4コマ漫画は「わがまち流山」という、
タウン誌の編集長に頼まれてボランティアで描いた作品です。

 

自分で言うのもおかしいですが、
これは商業誌レベルで通用すると評価された
「4コマ漫画のお手本」とも言える作品です。

 

1980年4月から、1981年4月まで全11回の、
私の最初で最後の連載漫画となりました。

 

・・・というわけで女性に対してコンプレックスがあったからこそ私は、
漫画家になれたのだという、切ないお話しなのでした...(T_T)

PS:このページも「起承転結の法則」で書いてあるのですが、分かって頂けたでしょうか?